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結局、緊張感をどうつくるのか [日々のこと]


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今日はエンゲキのヒトじゃないヒトと、エンゲキの話をする機会があって却って自分の考えに気づかされることがあった。

エンゲキのヒトじゃないヒトは、意外にエンゲキの即興性に注目してたり期待してたりするんだなぁ、と。

あ、ワークショップ的な文脈での話でした。

その話題の中で、ボクは即興性を可能な限り排していく中で、即興性によってしか生み得ないものに到達できる、というような考え方をしているのだと気づいた。

「表現における即興性」と「出たとこ勝負」は違うでしょというのが近い。なので、「真の即興性」(なんて、気恥ずかしい言い回しだ!)に到達するには、即興性を排していくしかない、と思っている。

「即興演劇」とか「インプロビゼーション」とかの表現を否定してるんじゃなくて、それはボクがやることではないなーってだけ。

即興性を排せないでいると、それは結局、「今を生きる」ことに全力を注げないことになって、セリフだ、動きだ、ひどいときには解釈まで即興に委ねるハメになる。
「今を生きる」は「真の即興性」と置き換えていい。気恥ずかしいが。いや、そんなん言ったらどっちも気恥ずかしいな。

なにかを固定しないと、ほかの何かの自由を担保できないと考えているのだと思う。昔は不確定性原理になぞらえて説明したりしてた(理系)。まったくの自由は不自由だ。

誰に押し付けるつもりもない、自分の考えというだけのこと。結果が美しいなら文句をつけることはない。

いや、「即興」のワークショップは、俳優向けならともかく一般向けにはボク出来ねーなー、引き出しねーなー、と気づいたってだけの話でもあるんですけどね。

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