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髙道屋沙姫【トンボリ心中 出演者紹介】 [日々のこと]


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『道頓堀心中冥土往来』出演者紹介の三人目は遊女・和泉を演じていただきます髙道屋沙姫さん。髙道屋さんもご一緒するのは初めましてです!

正直、ボクが演出つけるのに得意分野の役どころです。そこを、しっかりと踏まえて世界を広げてくださっています。

昨年に照明として関わったシアトリカルフォーラム『戯曲×恋愛 愛情マニア』で拝見したのが初見でしたが、なんて華のある女優さんだろうと思っていました。

抑えても溜め込んでも隠そうとしても、溢れ出んばかりの想いの強さ。今回の『道頓堀心中冥土往来』でも、ビンビン届いてきます。

「艶笑喜劇」と名打たれた今作、遊女という役どころもあって「艶」を一手に引き受けてくださっているんじゃないかという佇まい。シビれます!

ぜひぜひ、劇場で体感していただきたい!

+ + + おお、こわ。 + + +

應典院寺町倶楽部主催事業
第70回寺子屋トーク
艶笑喜劇『道頓堀心中冥途往来』
【演劇公演とトーク】
作:陸奥賢
演出:戒田竜治(満月動物園)

日程:2018年
6月2日(土)17:00
6月3日(日)11:00/16:00
※受付・開場は開演の30分前
※各回終演後にはアフタートーク的シンポジウムあり
ゲスト:2日17:00 秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
3日11:00 佐々木ヤス子(女優/寺の娘)・泉寛介(baghdad café 作・演出)
3日16:00 秋田光軌(浄土宗應典院 主幹)


出演:
白井宏幸(ステージタイガー)
髙道屋沙姫(かまとと小町)
ルーデルマン大地(遊劇舞台二月病)
浦長瀬舞(劇団冷凍うさぎ)
河上由佳(満月動物園)
殿村ゆたか(Melon All Stars)
近藤ヒデシ (CONPLETE爆弾)

佐々木ヤス子 ※声の出演

会場:浄土宗應典院 本堂

チケット:日時指定・自由席
前売 2,800円/当日 3,000円
ペア 5,000円(前売のみ)
應典院寺町倶楽部会員 2,000円

◉ご予約・詳細/特設サイト
http://tonbori.toy-2.com/

浦長瀬舞【トンボリ心中 出演者紹介】 [日々のこと]


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『道頓堀心中冥土往来』出演者紹介のお二人目は、奉公娘・お妙を演じてくださいます、浦長瀬舞さん。

浦長瀬さんもご一緒するのは初めましてですが、大変、本番が楽しみです。早く観ていただきたい。切り込み力と浸透力が矛盾なく同居しているのが素晴らしい!

誤解を恐れずに言いますが、ここまでヤルとは思わなかったのです。いい女優さんだとは思ってました。でも予想以上の姿で立ってはります。自分の不明を恥じるばかり。イイです。ズキュンときます。

今回の脚本を書かれた陸奥さんはいわゆる脚本家ではありませんし、語り口も独特で、物語も独特です。ですがその世界観をしっかりと背負われて立たれてます。

結果として、たぶん他では観られない感じになってると思います! これはぜひ、見逃さないでいただきたい。

いや、浦長瀬さん初見の方にもオススメです! ぜひ!


+ + + 野暮な人やね。 + + +

應典院寺町倶楽部主催事業
第70回寺子屋トーク
艶笑喜劇『道頓堀心中冥途往来』
【演劇公演とトーク】
作:陸奥賢
演出:戒田竜治(満月動物園)

日程:2018年
6月2日(土)17:00
6月3日(日)11:00/16:00
※受付・開場は開演の30分前
※各回終演後にはアフタートーク的シンポジウムあり
ゲスト:2日17:00 秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
3日11:00 佐々木ヤス子(女優/寺の娘)・泉寛介(baghdad café 作・演出)
3日16:00 秋田光軌(浄土宗應典院 主幹)


出演:
白井宏幸(ステージタイガー)
髙道屋沙姫(かまとと小町)
ルーデルマン大地(遊劇舞台二月病)
浦長瀬舞(劇団冷凍うさぎ)
河上由佳(満月動物園)
殿村ゆたか(Melon All Stars)
近藤ヒデシ (CONPLETE爆弾)

佐々木ヤス子 ※声の出演

会場:浄土宗應典院 本堂

チケット:日時指定・自由席
前売 2,800円/当日 3,000円
ペア 5,000円(前売のみ)
應典院寺町倶楽部会員 2,000円

◉ご予約・詳細/特設サイト
http://tonbori.toy-2.com/

ルーデルマン大地【トンボリ心中 出演者紹介】 [日々のこと]


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さて、『道頓堀心中冥土往来』です。あと、1週間で開幕です! 始めたら終わらないと感じ悪いヤツやります! 出演者紹介です!

まずは、六兵衛役のルーデルマン大地さん! ご一緒するのは初めましてです。

俳優さんなんて、みんなそれぞれに独特なわけですが、ルーデルマンさんは折り紙つきの独特です。

所属されてる遊劇舞台二月病さんの作品で初めて拝見したのですが、ボク的には一撃でヤられました。なにこれ? クセになる! と思いました。

ぜひ、観ていただきたい! 『決意』と『覚悟』が服着て歩いてるような語り口です。そこに、陸奥さんの言語空間とボクの演出をまとって、これまた観たことない感じで佇んではります。

ぜひぜひ、劇場でご確認の上、ご体験くださいませ!

ご予約、お待ちしてますー♪


+ + + 達者で生きろ。達者で死ぬまで。 + + +

應典院寺町倶楽部主催事業
第70回寺子屋トーク
艶笑喜劇『道頓堀心中冥途往来』
【演劇公演とトーク】
作:陸奥賢
演出:戒田竜治(満月動物園)

日程:2018年
6月2日(土)17:00
6月3日(日)11:00/16:00
※受付・開場は開演の30分前
※各回終演後にはアフタートーク的シンポジウムあり
ゲスト:2日17:00 秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
3日11:00 佐々木ヤス子(女優/寺の娘)・泉寛介(baghdad café 作・演出)
3日16:00 秋田光軌(浄土宗應典院 主幹)


出演:
白井宏幸(ステージタイガー)
髙道屋沙姫(かまとと小町)
ルーデルマン大地(遊劇舞台二月病)
浦長瀬舞(劇団冷凍うさぎ)
河上由佳(満月動物園)
殿村ゆたか(Melon All Stars)
近藤ヒデシ (CONPLETE爆弾)

佐々木ヤス子 ※声の出演

会場:浄土宗應典院 本堂

チケット:日時指定・自由席
前売 2,800円/当日 3,000円
ペア 5,000円(前売のみ)
應典院寺町倶楽部会員 2,000円

◉ご予約・詳細/特設サイト
http://tonbori.toy-2.com/


その恋、クランクアップとトンボリ心中 [日々のこと]

穏当な表現か分からないけど、『若い頃』に比べて、だんだんと「仕込み」が早くなっている。「やろうぜ!」から「出来たー!」までのスパンが長いというか。

今、関わってる『道頓堀心中冥土往来』しかり、映画版『その日、恋は落ちて来た』しかり。

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『道頓堀心中冥土往来』は、昨年の今頃から準備を始めました。いや、脚本を書いた陸奥さんからすると、一昨年のコモンズフェスタから始まってる。

たくさんの『想い』が凝縮していくこの時期のドライブ感が、なんていうかクセになっているんだろう。諦めないといけないこともたくさん出て来る。なにせ、夢は膨らむだけ膨らむ。

それを『現実』とすり合わせながら、諦めるべきは諦め、選び取ったことを確実に研ぎ澄まし、凝縮していく。このドライブ感よ。


映画版『その日、恋は落ちて来た』は、本日(日付変わったけど)クランクアップした。もちろん、まだ編集とかアフレコとか、大変なのあるんだろうけど(初体験で実感はない)、兎にも角にも、撮影ら終わった。

『道頓堀心中冥土往来』のことは稿を改めるとして、今日は『その恋』のことを書く。


2015年の死神シリーズ5連作に、劇団員以外で全作出演してくださった丹下真寿美さん。4作目の『ツキシカナイ』の稽古が遅くなった日に、駅まで送りがてら「一緒に一人芝居して欲しいんだけど、、、どう?」と話しを持ちかけた晩のことを、意外にちゃんと覚えています。

快諾いただきまして、とても嬉しかった。

それから、打ち合わせを重ねて、、、パンケーキ食べながら打ち合わせしたり、色々あった。

一人芝居はやっぱり役者さんのモノという意識が強く、丹下ちゃんがリラックスして打ち合わせ出来るところをと思って、打ち合わせ場所を指定してもらったら、パンケーキの美味しいお店だった。

そういえば、あれきりパンケーキは食べてない。いや、美味しかったんですよ。

とかなんとかありながら、稽古して、稽古も四苦八苦していただいて、本番。四苦八苦させぶりも結構、記憶が鮮明だけど、すごい量になってしまうので、本番まで割愛。

なんしか、オーダーはほとんどすべて実現していただいて、本番。ただ、「あ、これは丹下ちゃん苦手なんや」ということも分かるほどに、当時の極限までやっていただいた。

あかんな、色々ありすぎて書き切られへん。

もとは一人芝居。

丹下ちゃんとボクと二人で始まったあれやこれが、武信監督はじめたくさんの方のチカラが合わさって、今日に至ったのに、ちょっぴり感無量。

丹下真寿美という俳優の求心力のおかげで、ここまで辿り着いた。

写真は撮影初日の読み合わせ。

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それから、山。

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そして、クランクアップ直前の主演女優。

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本番前でなければ、もう少し浸れたんだけど、いや、この感無量は映画のお披露目のときにとっておこう。


「やろうぜ!」って言い続けたい。「出来たー!」ってなるのは、ちょっと先になるんだから。

今年度から事務局長ということになってしまった寺町倶楽部のことも、ほんとは色々ある。ほんとは色々発信せなあかん立場になっちゃったんだろうけど、急な話でまだ手が追い付いていない。


映画版『その恋』のフォトアルバムを見ながら、「あー、こんなこともあったなー」と思いながら、今日は寝ます。たくさんの戦友に恵まれて、幸せなことだ。

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明日は『道頓堀心中冥土往来』の稽古。

最新の戦友たちと高みを目指す。

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やるでー!













まもなく『道頓堀心中冥土往来』 [日々のこと]


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『艶笑喜劇・道頓堀心中冥土往来』の本番がまもなくに迫って参りました。準備期間を含めると丸々1年以上のプロジェクトも、いよいよいよいよの佳境です。

「艶笑喜劇」と名打たれた本作は、観光家・陸奥賢さんの脚本で、会場となる應典院界隈からタイトルにもある道頓堀界隈まで、道頓堀や下寺町、宗右衛門町と馴染みのある場所が舞台です。

ですが、その場所場所に埋まる物語を掘り起こし息吹を吹き込む観光家・陸奥賢の真骨頂とも言える語り口が魅力の脚本です。

強く逞しく、ときに狡く、ときに間抜けに生き抜いた人たちの『艶笑喜劇』です。

まあ、まず、ボクがこういう作品の製作に関わるのは一生に一回だと思います。『艶笑』も『喜劇』も、たぶん自分からやろうとは思わない(笑) それだけにやり残しのないように、キッチリとやり切りたい!!!

いつもと違う初めましてな作品に、いつもと違う初めましてな俳優陣と挑んでいます! 主要4人は全員初めましてな若手俳優陣! そこにベテラン2人が好き勝手に脇を固めてくれてます。

いやあ、稽古は毎回発見の連続で、やればやるだけ面白くなっていくゾーンに入ってきました!

あと、俳優陣がほとんどみんな劇団所属の座組というのも、昨今では実は珍しいんじゃないかと思います。なんだか所謂"プロデュース公演"っぽくない空気感。

そこらあたりも『ゾーン』に寄与しているのかもしれません。ですが、1回限りの座組です。これはちょっと観ておいていただきたい!

まだまだ、ご予約受付中ですー!



+ + + 達者で生きろ。達者で死ぬまで。 + + +

應典院寺町倶楽部主催事業
第70回寺子屋トーク
艶笑喜劇『道頓堀心中冥途往来』
【演劇公演とトーク】
作:陸奥賢
演出:戒田竜治(満月動物園)

― ああ。達者で生きろ。達者で死ぬまで。―
20年前に活動休止した伝説の演劇ユニット「茶坊主」代表の陸奥賢が、新作「道頓堀心中冥途往来」を20年ぶりに書き下ろし!
舞台は大阪・下寺町のとあるお寺。心中した若者を中心に生者と死者が行き交う艶笑喜劇!実際に下寺町のお寺である浄土宗應典院にて戒田竜治(満月動物園)の演出で上演!
各回終演後には、アフタートーク的シンポジウムもあり。
お寺とお芝居の艶やかな関係を「大阪七墓巡り復活プロジェクト」を主宰するなど観光家としても活躍する陸奥賢がひも解きます。

出演:
白井宏幸(ステージタイガー)
髙道屋沙姫(かまとと小町)
ルーデルマン大地(遊劇舞台二月病)
浦長瀬舞(劇団冷凍うさぎ)
河上由佳(満月動物園)
殿村ゆたか(Melon All Stars)

佐々木ヤス子 ※声の出演

日程:2018年
6月2日(土)17:00
6月3日(日)11:00/16:00
※受付・開場は開演の30分前
※各回終演後にはアフタートーク的シンポジウムあり
ゲスト:2日17:00 秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
3日11:00 佐々木ヤス子(女優)・泉寛介(baghdad café 作・演出)
3日16:00 秋田光軌(浄土宗應典院 主幹)

会場:浄土宗應典院 本堂(http://www.outenin.com/
〒543-0076 大阪市天王寺区下寺町1-1-27
TEL:06-6771-7641
〇地下鉄堺筋線「日本橋」駅/近鉄線「日本橋」駅 8番出口より東へ徒歩7分
〇地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅/近鉄線「近鉄上本町」駅 3番出口より西へ徒歩8分

チケット:日時指定・自由席
前売 2,800円/当日 3,000円
ペア 5,000円(前売のみ)
應典院寺町倶楽部会員 2,000円

◉ご予約・詳細/特設サイト
http://tonbori.toy-2.com/


関連企画・まち歩きについて
作者であるまち歩きプロデューサー陸奥賢による、作品の舞台である「下寺町」「宗右衛門町(花街)」「千日処刑場」を巡るまち歩きを関連企画として開催します。公演を観る前に楽しむもよし!観てから楽しむもよし!ぜひご参加ください。

開催日:5月13日(日)・5月27日(日)・6月10日(日) ※全て同じコースです
集合時間:14:00(雨天決行)
集合場所:應典院 1階ロビー
参加費(1名につき):チケットご購入の方 700円/まち歩きのみの方 1,500円
定員:各回20名

スタッフ:
作=陸奥賢/演出=戒田竜治(満月動物園)
舞台美術・小道具=竹腰かな子(CQ)/舞台監督=塚本修(CQ)/衣裳=植田昇明(kasane)舞台効果=toy-2/制作=前田瑠佳/主催=應典院寺町倶楽部

お問合わせ:
應典院寺町倶楽部『道頓堀心中冥途往来』企画
WEB:http://tonbori.toy-2.com/
TEL:090-9696-4946(前田) ※10:00~19:00
MAIL:info@tonbori.toy-2.com

不始末と功績 [日々のこと]

「不始末」をしでかした人の過去の仕事や功績が認められるかどうか、といった話があった。

そんなの「不始末」にキチンとケジメをつけられたかどうかだけだ。「不始末」の内容にも多寡にも拠らない。

くだらぬ小ウソを重ねて誤魔化すようなことをしたら、思い出すだけでその小ウソの苦い思いをよみがえらせてしまうワケで、そうなったらどんなに素晴らしい功績も苦い思いとセットになるしかない。

『正当な』評価など望むべくもない。

思い出したくなくなるのだから。当然、「功績」もなかったことになる。

人は「不始末」をしでかすこともある。ただ、それにキチンとケジメをつけられるかどうかだけ。

自戒も込めて。

『ヤミウルワシ』のこと【ご予約開始まで6日】 [日々のこと]


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『ヤミウルワシ』を上演することになりました。これは、ボクの書いた脚本の中でもとても特別な作品です。

2011年3月6日に父親を亡くし、お葬式に四国の実家に帰り、喪主をつとめ、相続手続きのために実家に残っている3月11日に東日本大震災が発生。テレビからは刻一刻と被災状況、いや、リアルタイムな津波の映像を目の当たりにし、原発は水素爆発、当時妊娠していた妹が横浜の自宅に帰るか真剣に話し合い、、、詳細に追えばもっと色々ありますが、といった状況で4/15から決まっていた本番の脚本が1行もなかった!

そろそろ書かなきゃなあー、と思ってたところに父が亡くなり、震災があり、実家から大阪に帰っても当然のように職場で震災対応に追われ、もう、心の中が千々に乱れるとはこのことで、そんな中で書き始めた脚本でした。

あれから7年が過ぎようとしています。

今回、改めて読み直しましたが、結局、どこも手を入れられませんでした。

出来不出来ではなく、もう二度と『ヤミウルワシ』のような脚本を書くことはできないんだろうと思います。

お席の少ない公演ですが、出来ましたら多くの方にお立会いいただけましたら幸いです。


★ご予約開始まで6日★
★各回20席限定★

★戒田竜治・河上由佳参加
Forum Enters The Theate #0
『ヤミウルワシ』
演出・脚本戒田竜治(満月動物園)

3/18(日)19(月) 各19:30開演
浄土宗應典院 気づきの広場

■出演
村井友美
竜崎だいち(羊とドラコ)
河上由佳(満月動物園)

■“知恵”
秋田光軌(浄土宗大蓮寺副住職・浄土宗應典院主幹)

■トーク登壇
相内唯史(at will)
戒田竜治

▼詳細はコチラ♪
https://goo.gl/89UgaM

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『ヤミウルワシ』

女は、毎夜夢に出てくる女の記憶をたどって友人と旅に出る。行くところ行くところ、夢の女が語る景色が広がる。友人の支えを受けながら、女はついに夢の女の最初の記憶にたどり着く―。

遺す想いと受け取る想いを巡り、他者の記憶をたどる。ハンサムな女優3人が描き出す静かなるファンタジー。

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* Forum Enters The Theater【演じるフォーラム】は、演劇上演作品を各分野の“知恵”でひも解く。仏教の説法、キリスト教の懺悔、臨床心理士のカウンセリング、いのちの電話の相談員など、個人情報保護的に実際に見ることは叶わないパーソナルな空間をエチュードで垣間見る。空理空論や理想論だけではない“現場”の空気を体感し、劇世界と混交した空間を体験する。今後、様々な“知恵”を舞台に招き入れる、今回はその試行として「仏教の知恵」を舞台に招き入れる。

※カンタンに言うと、30分お芝居をして、15分即興劇をして、45分トークします。

▼詳細はコチラ♪
https://goo.gl/89UgaM


現場からの報告〜『グリーフタイム×演劇×仏教』のこと [日々のこと]

「グリーフタイム事務局」との対話の時間の積み重ねでの、ボクの発見は、『聞いても面白くないだろう』とか『人に話すようなことじゃない』と考えがちな「業界」の「ふつう」は、他業界の人にとっては非常にエキサイティングであったりヒントになったりする、ということでした。

ざっくりボクは「演劇業界」で普通にやってるコトを(ほんとに面白い?興味ある?と恐る恐る)話しただけなんですが、宮原さんや佐脇さんには刺激的に受け止めていただき、臨床心理士の現場的な観点から、価値と意味を再発見してもらい、再定義していただいた。

基本的に自分たちのやってること(演劇)は、本番の作品にすべてが集約されていると考えているし、その過程の役づくりの仕方やら、脚本の読み解き方やら、そういったことは、すっかり当たり前のことになってしまっていて、改めて話すようなことでもないと思っていた。

が、それは臨床心理士さんという、考えもしなかった遠いところにいる方の役に立った。これは新鮮な驚きでした。

まあ、臨床心理士さんの役に立つかもねー、とか思いながらお芝居してませんし、ビックリしますわな。

もちろん、臨床心理学にインパクトを与えるような話でもないし、演劇界に波及するような話でもない。ただ、それぞれの現場に立つ者同士が、お互いの現場に持ち帰れるヒントを与えあった、ということに過ぎない。

「役づくりの仕方」と「カウンセリングの現場」の共通点なんて話は、ボクたちにとっても刺激的だった。

應典院の研修室でゴザ敷いて、都合のつく俳優たちも一緒に車座になって、特に話題も限定せずにゆっくりと語り合う。互いの現場での営みに、互いに価値を再発見し合う。価値を再定義される。

まさに「現場からの報告」を最も有効活用出来るのは、「別の現場」の人なのではないかと感じた先に『グリーフタイム×演劇×仏教』はある。

そんな「場」を月1回くらいのペースで、1年弱にわたって積み重ねることが出来た。

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「グリーフタイム事務局」の宮原さんに引き合わせていただいたのは、應典院の前主幹の山口洋典さんです。山口さんの退任パーティーでのことでした。

2009年に應典院で始まった「グリーフタイム」は宮原さんが主宰される、各自がそれぞれのグリーフを見つめることの出来る時間として開催されてきた(と、ボクは理解している)。

山口さんがボクに引き合わせてくださったのは、さっくりと「グリーフタイムに行き詰まりを感じてる」からだとのことで、『演劇の人と話してみたら?』というのは山口さんの計らいらしかった。

その場で「稽古を見たい」という話だったように思うが、「行き詰まり」の内容をちょいちょいと立ち話でうかがうだけで、「そりゃ、稽古見ても参考にはならないよ」という内容だと思ったのと、実際のところ俳優の話を聞かないと参考にはならんなと思ったので、ちょっと対話の時間を設けてみましょうよ、ということになった。

そうして始めた「場」は、1年くらい続いた。

その間に、ボクの作品に足を運んでいただいたり、ボクたちもグリーフタイムに足を運ばせていただいたり。互いの「現場」に足を運びあった。

ゆっくりと積み上げた信頼関係の先に『グリーフタイム×演劇×仏教』は自然と出来上がった。

まあ、イベントのカタチにするのには、ボクが得意分野なので、『こんなんやろうぜ!』って言ったのはボクだけど、その道程で積み上げてきた、お互いの緩やかで強固な信頼関係なしには考えられない。

グリーフタイム約10年の歩みと共にあった【グリーフカード】をボクの演出、満月動物園の女優たちに、委ねていただくのは、軽々な判断ではなかった。

ただ、そのことについてご批判があるなら、「やろう」と言ったのはボクなので、ボクに向けていただきたいと思っている。

互いの価値を再発見する「場」を、あそこまで広げられた、一般のお客様にもお立ち会いいただけるところまで広げられたことに、ボクが持ち帰るモノは多かったです。おそらく、多くの女優たちもたくさんのモノを持ち帰った。

まだ、宮原さんと佐脇さんと反省会とかしてないので、ボクひとりの所感ですが。

おそらく『グリーフタイム×演劇×仏教』で、お客様と共有できたのは時間と場所だけで、思いはそれぞれに持ち帰られたことと思います。思いを共有するための場所でも時間でもなかった、と思うのです。

もしかして、ご参加いただいた皆様それぞれの「現場」に活かせる、ヒントになるようなものをお持ち帰りいただけたなら、そんな光栄なことはないと思っております。

届く言葉 〜「グリーフケアとしての伝統仏教」のこと [日々のこと]

演劇にあまり関心のない方に『演劇界、今、こんなに盛り上がってるんです!』と熱弁を振るったとき、「ふーん」と「へぇー」の間のなんとも言えない反応が返ってくることがある。よくある。

『グリーフタイム×演劇×仏教』の中のトークシンポジウム「グリーフケアとしての伝統仏教」でもそんな一コマがあった。

大塚茜さんと山田昌史さんの、お寺さんの日々の営みに対する問題提起(というかダメ出し)へのアンサーとして、秋田住職が「東日本大震災による仏教界の変容」のような話題を持ち出したときだ。

『グリーフタイム×演劇×仏教』はタイトルどおり、仏教に興味ある人1/3、臨床心理士業界の方々1/3、演劇に興味ある人1/3といった客席だったと思います。

まあ、、、そんな反応になるよね。

言葉を選ばずに、世間から「マイナー」扱いされることの多い「演劇」が大好きでそこに身を投じているわけだけど、「マイナー」扱いされるからこそ、どんな言葉が届くのか、日々日々、試行錯誤しているところがある。

翻って、チラシにも書いたけど、「直葬(火葬場でちょいちょいとお経を上げてもらうだけ)」、「一日葬(お通夜・葬式・一周忌を一日で済ませる)」などの登場に『危機感』を持ってるらしいお坊さん業界。

「伝統っていいよね!」って言葉で「直葬」や「一日葬」という動きが止められるなら、そもそも登場してるはずがない。伝統は前からあるから伝統なんであって、あるのに登場してきたのだから。

伝統がマイナー化しつつあるからこその変容なんだろうと思う。

やはり、あそこで大塚さんや山田さんの問題提起を大上段にはぐらかすのではなく、ストレートに深められないところに、今の「頑張ってるお坊さん」の限界を見た思いがする。それが露わになったことは、『グリーフタイム×演劇×仏教』のひとつの成果だ。

SNSの登場で世相を紐解く言説は多いけど、それは詰まるところ、『ワタシはコレを為している』という、行為だけがモノをいう世界観に移行しつつあるのだろうと思う。日々の営みに対する問題提起のアンサー足り得るのは、自らの行為だけだ。業界動向ではない。

仏教界の、お寺界の先行きを案じる立場にはない。ボクの主戦場は板の上にある。

ボクが死んだときには出来れば【伝統】に則って送ってほしいと願うし、菩提寺はせめてボクの生きてる間に潰れてほしくない(いや、もちろん永続してほしいんだけど)。けど、それだけだ。

カオスな企画のカオスな客席で、届く言葉と届かない言葉が峻別されたことは、良かったとボクは思っている。

「演劇のお客さん」たち、からうかがう感想でも、刺さっているのは【問い】であるというところは共通している。【アンサー】はほとんど刺さってない。

仏教に興味ある人には、そもそもどんな言葉でも届くし、ただそれで「直葬」や「一日葬」に代表されるような伝統の変容が止められるとは思わない。

個人的に伝統仏教は好きなので、長いスパンでカルト化していくようなことになると、少し寂しい。誰にも刺さる言語を発掘してほしいと思う。



個人的にと言えば、秋田住職の声明(しょうみょう)が好きだ。読経の声ですね。最初に満月動物園に出演していただいたのが2004年。ガチガチのお芝居に本人役で読経していただました。

読経の美しさと「かつてお寺は劇場だった」という講話は、ボクたち演劇関係者に向けてではなくて、お客さんにこそ聞いてもらうべきものであろうと、そのままを舞台でやっていただいた。

そういう意味、演劇のお客さんの前に引っ張りだすという意味では、2004年から、ボクのスタンスはまったくブレてない。

なんだろう。そんなところにも入口は広く開かれている気がしてるんだけど。。。

ここから先は【本職】の方が考えられることでしょう。




『グリーフタイム×演劇×仏教』は要素が多すぎて、今日はこんな振り返り。

「悲しみのための装置」について [日々のこと]

『悲しみのための装置2018』無事に終演いたしました。ありがとうございました。

全体企画である「グリーフタイム×演劇×仏教」についての振り返りもさることながら、まずは『悲しみのための装置2018』について少しばかり。



「悲しみのための装置」という作品を上演したのは2000年(都住創センター)ですから、もう18年も前になるんですね。20世紀の最終年です。

この頃に満月動物園のキャッチフレーズというかコンセプト文というかで書いてホームページなんかに載せていたのが下記の文章でした。

『20世紀を“怒りの世紀”と総括するなら、21世紀は“悲しみの世紀”になればいい。悲しみを怒りに転化させて共有するのではなく、悲しみを悲しみのままに共有する。そんな“悲しみの世紀”になればいい』

20世紀は第二次世界対戦がありましたし、悲しいことがたくさんありました。そして、みんな怒っていました。当時24歳くらいのボクは21世紀が穏やかで繁栄的であることを願っていました。

ソ連が崩壊して冷戦が終わり(1991年)、9.11(2001年)の直前という時期です。世界はきっと平和な方向に向かうと、たぶん誰もが思っていたと思います。西側は冷戦に勝利し、東側はソ連の圧政に勝利し、敗者はいないと、ボクは無邪気に信じていました。

ボクの中で、20世紀の悲しみの象徴としてパレスチナ問題があって、1995年11月4日(ちょうど大学に入学して大阪に出て来た年でした。阪神・淡路大震災、オウム事件の年でもありました)に、パレスチナの和平を推進していたラビン首相が暗殺された時には、我が事のように憤慨し落胆し失望していました。

それは、シャアに『ボウヤだからさ』と言われてしまうような憤慨で落胆で失望でしたが、あのときの気持ちはよく覚えています。
■シャア・アズナブル(参考)
http://goo.gl/AB4WZ6

歴史を思えば迂闊に言えることではないのですが、「怒り」を共有するのではなく、「悲しみ」を共有することが出来るなら、世界から戦争・紛争はなくなると、今でも思っています。

若者(ボウヤ)らしい気宇壮大で無根拠な万能感に溢れた「悲しみ」への関心は、徐々にミニマムに、一人ひとりそれぞれの「悲しみ」に向かっていきました。

当時『悲しみのための装置』というタイトルは、大雑把に「怒るばかりで、“悲しみ方”を見失っていませんか?」「他人の悲しみに対して“義憤”ばかりでなく、悲しみそのものに目を向けていますか?」という問いからつけたものでした。

描いたのは極めてミニマムな一人の女性の“悲しみ”の物語でした。



それから11年後、突発的な公演として『悲しみのための装置2011』を上演しました。1月でしたので、3.11東日本大震災の直前です。

今回と同じ應典院のコモンズフェスタに『太陽物語』という作品で参加していたのですが、その際に應典院2階気づきの広場で併催されていた美術作品に触発されて、その美術作品の中で翌週に上演したものです。


『2011』ではテキストはボクの用意したものでしたが、河上と諏訪が出演し、河上が読み、諏訪が踊るという構成は今回と同じです。それと、演者は2人でしたが、ゼラ(カラーフィルター)を入れた懐中電灯をたくさん使ったのも同じです。真っ白な樹のオブジェを色とりどりに照らしました。

その際に書いてた「製作序文」です。


■悲しみのための装置2011 製作序文 真白の樹、彼岸、けれどそれを見つめる人の視線は様々。青く見える人がいたり、黄色く見える人がいたり、本人は白色を捉えているつもりであるけれども、他のものから見たときにその人の白は赤色だったり。 白色とは、無数の色が重なって構成されているものなのかもしれない。だとすると、重なる色は光で絵の具ではない。絵の具は重なれば黒になる。絵の具は見られなければ用をなさず、絵の具自身は何も発しない。色とりどりの人間を絵の具と捉えると見誤るのではないか。色を重ね黒く深い闇に落ち込むのではないか。人間は、人間の視線は光なのではないか。 視線は光で、外に向けられたものなのだとすると、。無数の人々が発する光が集まっていく場所を私たちは彼岸と設定して、この浮世を生きているのだろうか。 悲しみは闇ではなく光だ。
■掲載URL
http://goo.gl/h2QeKr



ゼラ(カラーフィルター)を入れた懐中電灯を初めて使ったのは2002年の『自覚ある狂気の哀しみ』という作品でしたが、その頃から意味付けはほぼ一貫していて、「人の視線」を象徴させています。
(ボクは「悲しみ」と「哀しみ」を明確に使い分けてますが、それは割愛しつつ)

人は必ず、自分の主観を通してしかモノゴトを見ることが出来ない。必ず、自分の色をつけてモノゴトを見ている。「自分という存在」すら、見る人によってその色どりは変わるし、自分の振る舞いが変わる(家族に向ける顔、職場の同僚に向ける顔、仕事上のお客様に向ける顔、人の視線によって規定されるようで、実は自分の主観がそれを選択させている)。

そして、光を向けた方(前方)しか見ることが出来ない。目を向けない真後ろは闇だ。

あの懐中電灯に仮託しているものは、だいたいこのようなモノで一貫して、ボクの作品の中で使用してきました。


ある主観は、ある色でモノゴトを染め上げてしまいます。ですが、人はそれ以外にモノゴトを認識する手段を持ち得ません。ならば、多くの主観でモノゴトを照射し、より真白に近くモノゴトを浮かび上がらせたい。

悲しみを怒りに転化することなく、悲しみのままに共有する。ひとつの方法論として考えることです。これが絶対だなんて言えません。


そして、2013年に、震災から2年後のコモンズフェスタで陸奥さんが「彼岸に向けた手紙」を全国から應典院に募るという企画を実施され、最後にお焚き上げして供養するというものだったのですが、その前になにかパフォーマンスをしてほしいと依頼されて、本堂で俳優たちに読んでもらったフォーマットが、今回の『悲しみのための装置2018』と、まったく同じフォーマットです。
■『手紙供養』開催概要(應典院HP)
http://goo.gl/7dspHm

これは、演出的に「解釈をしない」というところが、ボクにとっては最大のポイントなフォーマットです。テキストの受け止めも発し方も俳優に委ねています。

2013年の手紙供養も、今回の『2018』も、読み上げられることを前提に書かれたテキストではありません。

そこに向き合うのに、演出的に「整える」ことよりも、読み手一人ひとりが自分の人生を背景に受け止め発する以外に、誠実に向き合う方法はないだろうと考えるからです。

ですが、俳優ですから「うまく」読みたくなります。当たり前です。ですから、テキストは事前には読まず、当日めくったときに初めて出会ったものです。精神的に素っ裸で向き合ってもらいました。

俳優さんたちが、終演後に「個人的な体験」として感想を発信されているのは、ボクが指示し望んだスタンスでありました。

そして、立ち会った聞き手(観客)は偶然、近くにあったテキスト(言葉)に、何度も様々な主観に照らされて、触れます。遠くのテキストも、自分のアンテナに反応する主観で照らされたときにスッと耳に入ってきます。

演出的な「解釈」が施されていませんので、受け取り方もまた、聞き手の主観に依ります。

多くは、いく通りもの主観で語られた“悲しみ”を奥深くで受け止め、自分のグリーフ、身近なグリーフに思いを馳せ、場の一体感を感じつつ、自ら感じるところをお持ち帰りいただいたようですが(当日や昨日今日にいただく感想からは、正直、あまり演劇を観慣れない方から、そのような反応をたくさんいただいたという面があります。観慣れないだけに言葉にされるのに時間がかかるようで、ポツポツとメールが送られてきます)、中には「なんで、こんなの聞かされなくちゃいけないんだ」と感じられた方もいらっしゃいました。意図せぬものをお持ち帰りいただくことになってしまいましたが、それもまた「本当のこと」です。


あと、手紙供養にしても『2018』にしても、彼岸此岸の別のない、怨親平等の仏さまの視線あるお寺の本堂だからこそ、やろうと思えたことです。普通の劇場ならやろうとは思いません。

そして、言葉と声、その思いを仏様にお預かりいただく、お坊さんの声明(しょうみょう)で締めるのが、寺院空間に相応しいと思うのです。とはいえ、ボクは仏教の布教がしたいワケではありません。

普通の法要であれば「観客」はお坊さんと一緒に仏様の方を向いています。ですが、手紙供養や『悲しみのための装置2018』の主旨を思えば、その場に満ちた思いをお坊さんに向け、仏様に向き合うのはお坊さんだけというカタチが相応しいと思うのです。

仏教の布教がしたいワケでないので、お坊さんがお経を読むのに仏様にお尻を向けた席もあるという、まあ、「演劇」と名打たないとあり得ない空間構成でした。

ここでもやはり、お坊さんは一人の人で、ひとつの主観でした。仏教に言う仏法僧の僧というよりは、仏教に人生を捧げるという選択をされた、一人の人として、立っていただけたと、ボクは感じております。



ボクは演出家として、解釈しないという選択をしたので、本当のところ自分で評価するのが難しさを感じていますが、「良かった」というたくさんの反響と、「あかんで」という反響とに、慎重に耳を澄ませたいと思っています。
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